赤間神宮 続き

初の自分撮りでござる。
今日は気分がいいのでもういっこ更新しようかね。
先日、赤間神宮に行ったわけですが (6/21参照)、
実は安徳天皇の陵墓の他にもう一つ見たいモノがありました。
これです ↓

「波の花散りにしあとをこととへば むかしながらにぬるる袖かな 秀吉」
あの豊臣秀吉が1587年に赤間神宮を参拝したときに詠んだ歌だそうです。
この石碑は水天門の右にあります。左から本殿のほうに上がるので気付かない人が多いのです。
だからどうしてもこれが見たかったんですよね。
余談ですが娘たちには予習としてこの動画を見せながら
比叡山ファイヤーやフグ禁止令など三英傑のことを簡単に説明しときました。

RAG FAIR ヒップホップ歴史講座
織田信長編 豊臣秀吉編
徳川家康編 武田信玄 ・上杉謙信編
木下藤吉郎と名乗るまでの秀吉の青年時代のことはよくわかっていません。
教科書では 「貧しい農民のせがれとして生まれた」 とされていますが、
秀吉の父も、父の死後に母が再婚した相手も、織田家に仕えていた人物です。
極貧で子連れの後家のところに城勤めの人間が婿入りするでしょうか。
土地や屋敷、財産があったと考えるのが自然であり、農家とはいっても村長 (むらおさ) クラス、
もしくは半農半士の豪農だったと考えるのが妥当だと思います。
また秀吉は、藤原道長に追われて京から丹波に逃れた藤原道隆の子 ・ 道宗を先祖とする、
「山の民」 という集団の一員として育てられたという説もあります。
当時の社会体制から、一介の農民のせがれが摂政 ・ 関白になれるはずがないとすれば、
この説は説得力を持ってきます。

そういえば2012年の大河は平家だそうで。
赤間神宮、注目のスポットです。
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